富山県議会 2021-02-01 令和3年2月定例会 委員長報告、討論、採決
戦前戦中の代議士だった中野正剛は、昭和18年1月1日の朝日新聞に、緒方竹虎の求めに応じて「戦時宰相論」という文章を寄稿しています。 中野はこう訴えます。国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず。指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことにより滅びると。
戦前戦中の代議士だった中野正剛は、昭和18年1月1日の朝日新聞に、緒方竹虎の求めに応じて「戦時宰相論」という文章を寄稿しています。 中野はこう訴えます。国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず。指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことにより滅びると。
福岡県選出でありますけれども、中野正剛という政治家は、昭和18年1月1日の朝日新聞に「戦時宰相論」という文書を寄稿しています。その中で主として述べているのは、こういった論旨だったと記憶しています。「国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず。指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことによりて滅びるのである。」と。
かつて日本が塗炭の苦しみにあった時代に、戦前、戦中の政治家中野正剛は、昭和18年1月1日付の朝日新聞に「戦時宰相論」と題する文章を寄稿しています。その内容を引用すると、「戦時宰相たる第一の資格は絶対に強きことにある。国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず。指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことによりて滅びるのである」と述べており、「難局日本の名宰相は絶対に強くなければならぬ。
その中野氏が朝日新聞に寄稿された戦時宰相論が東条氏のげきりんに触れ、最終的に文筆活動も言論活動もできずに死を選ばざるを得なかったと聞かされております。その戦時宰相論で中野氏が述べたのは、戦時のような非常時には時の総理が決断と実行を私心を捨てて勇気を持ってやるべきで、優柔不断で総理のそばに群がる茶坊主の言うことしか耳に入らない東条氏は宰相としては失格であると述べたと聞いております。
佐々淳行さんは、「危機管理 宰相論」に、「悲観的に準備して、楽観的に対処せよといつも言っているのは、地震は必ず起きる。しかも大地震だ。起きたら、仕方ない。日ごろの準備に従って冷静に対処するまでだという心構えを指している。」と、申しております。また、「すべての集団の長は、その構成員の生命、身体、財産を保護するのが最優先課題となっている。」とも述べております。
ましてや社会機構もがらりと一変した今日、このようなことは一地方長官たる知事のようなし得ないところでありまして、北村知事に対するダイレクトな注文ということではなくして、この後で触れる新幹線問題などを通して、我が政権政党党首にささげる行財政改革を通じての名君論、宰相論とでもしたいということであります。